東浩紀『動物化するポストモダン』講談社現代新書(ISBN:4061495755)

  1. 現代の若者のいる状況は「ポストモダン大きな物語の消失後の世界)」そのものであるということを、「動物化」という言葉をキャッチに使って説明した本。「動物化」というのは、多少物議をかもす言葉だが、「社会化」の対概念と考えるとしっくりくる。30代から20代後半くらいの世代の人間には「別に今さら説明してもらわなくても」という内容だが、後の著者の行動を見ると、「オタク」という言葉で表される状況を、より上の世代に説明するために書かれた本のようである。
  2. あらためて説明されてみると、なるほど、私くらいの世代(30代後半)の人間は、「物語」を使って多くのことを理解してきた。政治も人生も一つの「物語」として理解してきたわけだが、今の若い人はそうでもないのかもしれない。「物語」というフォーマットを使った「理解」の特徴は「始まりと終わりがある」という点で、要するに「時系列」を意識せざるを得ないということである。最近は、「いったん勝負が決まると(評価が定まると)挽回不可能」という風潮を感じるのだが、「時間が経てばパラメータも変化する」という意識は「データベース」を埋めることで物事を理解する人には希薄なのかもしれない。
  3. 多くの人に共通する「大きな物語」は消失したかもしれないが、現代日本で多くの人が使っている「小さな物語」の雛型というのは存在する。それは「恋愛」である。例えば、「やおい」は、あらゆる人間関係を「恋愛」のみで記述しようという試みのように思えることがある。主に対象となるのは「友情」「ライバル」「師弟」「先輩・後輩」などだ。「萌え」という言葉も最初は、自分が抱く「恋愛感情」が「擬似的な・フィクショナルな」ものであることに自覚的な時に使われる言葉として理解していた。ただし、今の「萌え」は、「恋愛感情」だけでなく「良い・快い感情」一般について使われることが多い気がする。それが「非現実(何らかの事情で実際には手に入らない・実際の自分とは距離がある)だが、自分の「小さな物語」の要素として取り込み可能」な場合に使われるという点はそのままのようだが。

※1年半ほど前に読了。再読せずに記述。