橋本治『革命的半ズボン主義宣言』河出文庫(ISBN:4309402976)※'91発行、オリジナル単行本は'84発行

  1. 「今度の夏は、みんなで半ズボンをはこう」と主張する本。というと、何かの冗談みたいだが、逆に「なぜ日本の成人男性は夏に半ズボンをはかないのか」という問いを発することから、日本の戦後以降の社会において「大人であること」「子供であること」「自信を持つこと」とはどういうことなのか、ということまで論じている(そしてその論を認める限り、「みんなで半ズボンをはく」ということは、確かに「革命的」なことなのだった)。
  2. 橋本治」は、今の若い人には位置付けがよくわからない人物だろう。同世代より上からはほぼ無視されているように見えるが、それより少し下の世代には一定数の(熱烈と言っていいくらいの)支持者がいる。しかし、そのわりには、橋本治自体を論ずる文章もあまり見かけない。ということで、以下に「橋本治」に関する私見を書いておく。
  3. 橋本治は、この本で「正当性とは論理によって獲得されるものだと思っている」と述べているが、彼はそれを実践してきた人である。「夏に半ズボンをはきたい」と言えば、「勝手にすれば?」ということになるだろうが、「でもちょっと変だよね」と影では言われるかもしれない。でもそういうのは嫌なのだ。「夏に半ズボンをはく」というのは、どう考えても合理的なことで、変なことではない。単に「個人の自由だろ」というレベルではなく、「これが正しいことで、自分は正しいことをしているんだ」ということを、みんなにわかってもらった上で堂々と半ズボンをはきたいのである。それが「正当性を獲得する」ということで、その道具として「論理(誰もが納得する理屈)」を使おう、ということなのだ。つまり、彼の発するメッセージというのは、「他人から「変」と言われるような状態でも、そこに留まりたいなら留まればいい。ただし、それに後ろめたさのようなものは持つな。そのためには、自分がそこに留まる理由をきちんと論理的に構築し、世間を説得することだ」ということになる。そして、橋本治は常にそれを実践してみせているのである。橋本治は『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』で少女マンガについて、『蓮と刀』でゲイについて語っているが、それまではどちらも滅多に語られることのないテーマだった。それがタブーであるというより、「語る言葉・論理」自体が無かったのである。それを橋本治は作ってみせた。しかもその前の世代が使った言葉・論理を継承することなしで。上の世代から黙殺されるのはたぶんその辺りに原因があるし、下の世代が支持するのは、それまでになかった(がその世代には必要な)言葉・やり方をちゃんと示してくれたからである。