三浦雅士『村上春樹と柴田元幸のもうひとつのアメリカ』新書館
- 作者: 三浦雅士
- 出版社/メーカー: 新書館
- 発売日: 2003/07/10
- メディア: 単行本
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- 最近の日本の文学には、「村上春樹の小説」と同様、「柴田元幸の翻訳」が大きな影響を与えているという話から始まり、
- これらが「日本の文壇」ではなく、「アメリカ文学」に直結すること
- 彼らにとっての「小説」「翻訳」とは何か
- 本書の評論部分において、三浦雅士は「村上春樹の小説」と「柴田元幸の翻訳」を「異界」というキーワードで切ろうとする。つまり、村上春樹が描くのは異界であり、柴田元幸は異界を描いた作品に惹かれ、それを多く翻訳している、ということである。三浦雅士は「異界=冥界」という言い方をするが、私の言葉だと「異界=もう一つ別の、可能だった世界」ということになる。つまり、第九章で取り上げられる、柴田元幸の「実は自分はもう死んでいるのではないだろうか」という感覚とは、「かつて自分が「世界とはこういうものだろう」と思っていた世界」と「現実に自分がいる世界」との違和感を指していることになる。
- 三浦雅士が「村上春樹・柴田元幸の異界=冥界」という言葉を使うのは、それらの作品が「ゴースト・ストーリー」に類似する、ということ以外に、二人が「翻訳という作業が自己消去を達成するものだ」と発言していることにも理由がある。これは「翻訳という作業は原文の著者の声を伝えるのが第一であり、翻訳者の色が出ていない、翻訳者が感じられない翻訳が一番よい」という彼らの「翻訳観」から来ていて、三浦雅士は、ここから「自己消去」=「自己消滅」=「冥界をめざす」傾向を読み取っているようだ。しかし、大抵の(創作以外の)「仕事」というのは「自己消去」を達成するものなのである(三浦雅士もインタビューの仕事の秘訣を聞かれたら「自分をなるべく出さず、相手の声を引き出すこと」のような答をするはずだ)。そして「仕事」とは「個人と世界を強く結び付ける」ものだ。村上春樹は「小説」の執筆の合間に「翻訳」の仕事を多くこなしたが、それは「異界」を描く作業をする一方で、「現実」につながる作業も必要としたのだと考えた方が、個人的にはすっきりする。