仲正昌樹「加藤典洋におけると」(雑誌「情況」 2003年11月号)

  1. 高橋哲哉との「敗戦後論」をめぐる論争を手がかりに、加藤典洋の<公共性>が批判されている。この論争における加藤の主張は次のようなものだ。
    • 「敗戦」以降、それまでの日本の「共同体」は崩壊した
    • しかし多くの日本人は、いまだにその崩壊した「共同体」に依拠した言説から逃れられずにいる
    • 共同体内の「身内」の感情に頼るような言葉は、その共同体が存在しない現在では、他人に説得力のあるものにはならない
    • 今、必要とされているのは、有効性を失った過去の「共同体」を清算し、新たな「共同体」を再構築することである
    • それには、「公共の場」で「他者」と積極的に議論を交わし、お互いを説得しうるような<公共性>を持つ言葉を作りあげていくことだ
    仲正昌樹は、この「<公共性>の立ち上げ」という部分には同意を示すが、加藤が立ち上げようとする<公共性>が、「日本」(その「母なる自然」というイメージ)に囚われたものである点を批判する。つまり、これから新たに立ち上げる<公共性>には、いろいろな可能性(地理的にも、構成人員的にも)があるはずだが、加藤はそれを(たぶん無自覚に)「日本」と前提し、それ以外の可能性を考えようとしない。それは出発点からして既に<公共性>を欠いたものなのではないか。
  2. 加藤典洋の「文芸評論」以外の仕事(「敗戦後論」や『日本の無思想』など)からは、彼の問題意識が、「公」的(社会的)なものと「私」的な(個人的な)ものの関連性にあることが伺える。もう少し突っ込んで言うと、彼は、「私=(加藤典洋という)個人」から「公=他者・世界」をどのように導き出すか、ということをずっと考えているように思う。そして、そのことは彼の文芸評論の仕事にもつながっており、つまり、「他人のテキストを読んで批評する」ことが「他者と意見を交わして公的なものを導き出すこと」に相当しているのではないだろうか。『テキストから遠く離れて』は、テキスト論的「作者の死」を「作者の再生」に置き換える試みでもあったが、それは「読者の一部の死と再生」でもあり、作者が書くことで現実の自分を殺し、新たな生を得るのと同じように、読者は作者の生を受け入れることで、自分の一部を殺し、新たな生を授かる(この「新たな生」の部分が「自」と「他」が統合された「公的な」ものに相当する)というイメージを持っているのではないだろうか。
  3. しかし、そのようにして導き出された、彼の「公的なもの」が、本当に<公共性>を持つものなのかについては、あまり説得力のある議論がされていない。単に「それはあるはずだ」「なければならない」という個人的な思いのみが先行しているように感じられる。そして、「敗戦後論」で「あるべき」<公共性>の姿を無自覚に「日本」に重ねていたように、彼が批評を通して作り上げているはずのもの(それは「現代日本」の像と重なるだろう)も、批評を行う以前から彼が既にイメージしていたものに過ぎないかもしれないのである。加藤典洋は、自分の批評を外国人に伝える仕事をしてみてはどうだろうか(その能力はあるはずだ)。その仕事を通せば、彼の(私的な)「公的なもの」の強度もハッキリと計れるはずである。