仲俣暁生『ポスト・ムラカミの日本文学』朝日出版社(2002年5月発行)文学:ポスト・ムラカミの日本文学 カルチャー・スタディーズ作者: 仲俣暁生出版社/メーカー: 朝日出版社発売日: 2002/06/01メディア: 単行本購入: 6人 クリック: 36回この商品を含むブログ (61件) を見る

  1. 現在の日本文学は、過去の「文壇」とは完全に断絶したものとなっており、それは 70年代末の二人のムラカミ=「村上春樹」「村上龍」の登場に始まり、80年代の日本文化において決定的なものになったのだ、ということを示した本。現在の日本文学(だけでなく日本文化全般)が'80年代に準備されたものであることがわかりやすく書かれているので、70年末から80年代を未経験の(または当時幼かった)今の10代、20代の人には、現在の日本文化を考える上でいろいろ示唆に富む内容であると思う。(経験している人にも、過去からの連続を再確認できるという点で意味があるだろう)
  2. 個人的な話をすると、70〜80年代は、日本文学には全く興味がなかった(村上春樹を読み始めたのも話題作が文庫化されるようになった'80年代後半以降だった)ので、当時の日本の文化状況を、当時は「低調な」ものに見えた日本文学が、これほど見事に表現していたということに結構驚いてしまった。しかし、この本は'80年代を「現在への連続」という面から書かれた本なので前向きな内容になっているが、「過去との断絶」という面から見ると、ちょっとやるせない時期でもあったのである。そのあたりは、戦前生まれの著作家の当時のエッセイ(小林信彦あたり)で「愚痴」を読めばわかるが、明治維新で一新、太平洋戦争で壊されながらも残っていたものが、このバブルの乱開発の時期にほぼ消滅してしまったのである。まあ、それはまた別の話なのだが。
  3. さて、この本で「問題」となるのは、「現代の女性作家をほとんどとりあげていない」ということを、わざわざ本の中で明言していることだろう。その理由は、
    彼女らの書いている小説が、最終的には女の人の「個」の問題に尽きてしまうのではないか、と思うからです。…でもぼくには、男だけ、あるいは女だけの個の問題のさらに先にある、共に生きたり、ときには共に戦ったりする仲間のことが気になるのです
    とあるので、特に女性に限らず、「個」の問題に拘り、「他」や「社会」を見ていないと思われる作家を、この評論では対象外にした、ということなのだろうが、
    そうした女性の書き手の問題意識をうまく受けとめ損ねているところも大いにあると思います
    とあるので、特に女性作家の描く「個」の問題が、どのように「他」や「社会」に通じるかを捉えきれていない、という思いもあるのだろう。個人的に気になるのは、著者が「共闘できるかどうか」を一つの評価軸にしていることで、それは「敵」の存在を想定している(「いまでは戦う相手は拡散している」という表現があるので、「単純な敵」を想定しているわけではないのだろうが)ということに他ならない。著者が捉え損なっているのは、「敵」を描かないことで「他」や「社会」を描く方法なのではないか、という気もする。(多和田葉子ら、ここで挙げられた女性作家の作品は読んだことがないので、全然見当違いかもしれませんが)