ユリイカ2011年1月臨時増刊号『総特集:村上春樹』青土社

ユリイカ2011年1月臨時増刊号 総特集=村上春樹 『1Q84』へ至るまで、そしてこれから・・・

  1. 主に2000年代の村上春樹作品(日本においては2000年『神の子どもたちはみな踊る』から2009年『1Q84』までと、海外における翻訳作品の受容のされ方)に焦点を絞った評論集。村上春樹についてはほぼ語り尽くされた感もあるが、'00年代云々より、評者・インタビュアーが比較的若い年齢層である点に興味を惹かれて読んでみた。
  2. 村上春樹の'00年代作品の特徴を挙げるとすれば「3人称の導入」「社会へのコミットと責任」「多重世界」ということになるだろうか。これらから端的に見えるのは、それまでの『作家は「自分自身の物語」を書いているが、読者もそれを「自分自身の物語」として読んで「構わない」』というスタンスから、『作家が明確に「他者の物語」を書き、それがどのように受け止められるかも意識し、それに対する責任も引き受けよう』というスタンスへの変化であるように思われる。
  3. '00年代以前(というより1995年以前)の村上春樹は、自分を取り巻く状況(おそらくは「日本」の現状)と、それとは異なる参照点(初期作品においては明確に「アメリカ」)の対称・対立から浮かび上がる、現状とは別の生き方/方法を描いてきた、というのが私個人の認識だが、'00年代からはその対称・対立するものを絶対的な位置から相対的な位置へずらしているように思う。つまり、物語の中の対称・対立をよりわかりやすく描くことで、読者自身が内部にはらむ対称・対立を意識させるという方法で、作家のものではない「他者の物語」を浮かび上がらせる。この対称・対立の軸の一端として「オウム事件」または「9・11」の原理主義(つまり本人が作った生き方/方法ではないもの)があり、そこに陥ってしまうことを「魂のハードランディング」、そうではなく、そうした狭間の中から自分自身が選択した生き方/方法を見つけることを「魂のソフトランディング」と呼んでいるのではないだろうか。